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ひろさちやの「世間も他人も気にしない」

読みやすいんでもう1冊よみました。

比較をすると地獄になります
でも小学生のころには比較の嵐ですよね。。。

街頭インタビューなんかで
「もちょっと景気を良くしてほしい」
とかみんないうじゃないですか。景気景気って
ぞっとするんだよな。。金まわり金まわりって。
しかも自分で自分の景気よくしたいんならまだわかるんだけど。。。
かねまわりをよくさせようとするなら比較させざるをえないんですかね。

代社会は誘惑が大きすぎます。われわれに小欲知足を実践させないように、大きな圧力を加えてきます。
しかも私たちはそのおおきな圧力に抵抗することができない。本当であれば宗教がその抵抗力を与えてくれるのに、日本人は無宗教だから、宗教からその力をあたえてもらえません。


子供手当ってあるでしょう。
あれ子どものいない人にとってなんの手当ですか。
こどもがいないっていうだけで有形無形に加えられる
差別って凄まじいものがありますよ。
こどもいない手当こそ欲しいのに。
結局少数派はがましてくれ金のない奴は死んでくれって。
社会みんなでそだてられるようにって発想の転換って
この無宗教無スピリッツの無味乾燥社会
で、そっからとりかかれって
発想、無理がありすぎる。

現代日本はもはや救いようのない地獄になっています。
わたしにはそう思えてなりません。


ぼくもそう思います。
勝ち組負け組って。
勝ち組って負け組ないと成立しませんよね。
ぼくはだから、
勝ち組の人は負け組に依存して成り立っているんだと思います。
勝ち組負け組あってもいいけけど、
そんな考え方をしてくれてもいいと思うんですけど。

もっと自由になりましょうよ。
世間が定義した成功や幸福なんかを信用してはいけません。自分が定義した成功と幸福を求めましょう。たとえばのんびりゆったり生きることができる、それが幸福だと定義します。すると私たちはすぐに「幸福」になれます。
「俺の人生はつまらない」と思っている人はいませんか。そう思うのは間違いです。いやそう思うのはあなたが地獄の亡者になり、餓鬼になり畜生になっているからです。地獄の亡者はうんこの中に潜るから、つまる人生、つまらぬ人生を考えてしまいます。畜生は、主人である世の中から、あたかも立派な人生があるかのように思わせられるから、自分の人生がつまらなく思えるのです。でもね、人間になりましょうよ。人間というのは弱くて愚かで間違いだらけの存在です。そうすると人生は間違いだらけでいいということがわかります。間違いだらけの人生はそれはそれで立派な人生です。間違いのない人生はそれもまぁ立派な人生です。どちらの人生が立派か、そんな比較をしてはいけません。比較をすると地獄になります。われわれ人間です。人間だからまちがいだらけの人生を楽しみましょう。

河合隼雄と中沢新一の「仏教が好き」

もう少しでホワイトアウトで、しょうか富山県南砺市ですが、
ほんとの豪雪地はだいじょうぶでしょうか。。。
私は相変わらずのんきなのですが、大家の心配が心配です。
ぼくの人生みたい

これはけっこうおもしろかったですね。
ただ学術的すぎて、ついてゆけないところがほんと多いのね。
頭悪くて、知識もないと、いざ本を読もうと思っても苦労するよね。。。

全地球的神話に一番近いのは仏教だけだろう
とかね、神話学者の引用なんですが、
ふたりとも饒舌で、つかみをしってるのね。。。

キリスト教もイスラム教も非対称の宗教で
仏教だけなんだって対称の宗教は。たしかそんなことかいてあったような。。
たとえば釈迦のまわりに動物がたくさんいるようなそんな絵ってどっかでみましたよね。
そんなこと。わかりやすい。

宇宙によってこんな風に発生してしまった、非対称をなんとか思考によって、ただそうとして、神話というものはつくられたんだ

ブッダも矛盾を愛好している
とかね。
キリスト教的世界観をキリスト教抜きで受け入れた
ひろさちやさんのいうところの地獄のうんこ社会の現代日本も
こんなにマイルドに言ってくれたりね。

もう1カ月くらい前に読んだもんなんですよ。
だからとびとびになってしまって。

瞑想とは何かとひとことでいうと、大脳新皮質の活動を停止させたときに見えてくるものがあると
そのことにつきますね。そのときに何か変化が起こってくる


母を否定して母にたどりつくための教えが仏教の中にはある
実感として感じられる。ぐっときますね。
的確で上手ですね。
さっきかいた池田さんとかどしてあれほどことばことばといいながら、
なんかつまんない教科書みたいなことになってしまうんですかね。
どっかで否定してるんだと思う。
芸、ってことを。
芸がないと言葉以外のことが伝わらないというか、
言葉以上の言葉を伝えるのが
ことばというか。
あーやっぱり、なにかすごい欠落してますね。
あのひと。でもそれが、魅力であり、
鋭角さを生むんですかね。

宗教的な実感を動かしているのは陶酔だけではなくて、その陶酔をひとつの方向に動かしているのは
ある種の理法なのだと思います。

これもいいなぁ。ほんとわかりやすいんだよなー。
なにかとっても安心する読み物でしたね。

池田晶子の「死とは何か」

なんか難しかったな。
面白みがないというのか。
最初2,3ページ読んで
あーがさつだなぁとおもって。。。
嫌な数学の先生みたいな人だと思って。
1たす1は2でしょ!どうしてそんな簡単なことがわからないの?
という感じで、、、
おっしゃるとおりでございます。としか、、、
迫力はありますね。
ただそれは、すべてだという言葉じゃなくてこの人の生きよう?
言葉とか、考えることとか、死とか存在に対する論理的な定義(?)とか
そういったことには敏感なんだけど、とても鈍感なところがあって
普通の人(このいいかたがそもそもすごい鈍感ですよね)と哲学的な体質の人とは決定的な違いがあって
死というものは観念で実際には存在しないから、恐怖を感じる必要もないし、
自分の孤独を認識することとはすなわち自分を宇宙としることだ。
思い悩む前に考えればっていうんですが。
ことばで考えるんじゃないっていうんだけど、
絵的なイメージはもうまったくないし、
哲学家の名前はたくさん登場するんだけど、
小説とか音楽とか映画とかはまったくでてこないのね。
(ただドストエフスキーだけはでてきてなんかうれしいですね
宗教家はでてくるけど、釈迦の理解とかすごく浅い。と思う。
それは感覚的なことなんですよ。
僕みたいな人間でも釈迦はそんなこと絶対いわないだろう、
って肌で感じるのに、どっかからの誰かの受けうりですごい頓珍漢なことってたり。
パソコンに関して、どうでもいいようなことを
哲学的体質で語るんですが、そんな必要あるのかな。
でもすごくおもいきりのいい人で、
この人の文章はあまり読みたいと思いませんが、
すごく素敵な人ですね
ぼくも何いってるのかわかりませんが、
考えるというパーツを自分の中に組み込むことも
とても必要だと、そんなことをかんじさせてくれる
生きようですね。本はつまんないです。
でもこの人の生きようを思い出すために
また何か読んでみるかもしれません。
ある真理に到達したように感じる人が、
そしてこれほど言葉を大切に思っているひとのことばが
こんなに響かないのはなんででしょう。
でもこのひとの生きようはこの人の言葉によって
つたえられたわけで。
まぁいいんですかね。深く考えなくても
それが普通の人なのかな。

言葉は万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ。人は魔法の杖を使って、どんな人生を創ることもできる。だからこそ言葉は大事にしなけれがならないのだ。言葉を大事にするということが自分を大事にするということなのだ。自分を語る一言一句が、自分の人格を自分の人生を確実に作っているのだということ、自覚しながら、語ることだ。そのように生きることだ。

ひろさちやの「ほとけさまの「ひとりを生きる」知恵」

私は本を読みません。
自分史で語ると10代の頃は適当に読んでました
まぁ読んでいたといっても、当時のフェイバリットはサリンジャーとか☆の王子さまとかだから。。。
村上春樹は嫌いでしたが、村上龍は好きでした。
万延元年のフットボールを読んだことは良く覚えていますね。。。
でも結局読んでよかったと思えるのはドストエフスキーだけですね。。
内容は覚えてはいないんですが。
本を読みません。小説となると全く読みません
小説を読む器量がないんです。余裕がないんです。。。
でも本を読もうと思います。いきてゆくのが少しでも少しでも楽になるように。
自己啓発とか精神世界系の本をとうめん読んでいこうと思います。
夜寝る前に読んでたとえ一日でも休肝日を作ろうと思います。

とりあえず仏教の本が読みたくて
図書館で借りてきました。著者のことは全くしりません。
読みやすかったです。極端なとこもあったけど、覚えてるのは、(なにせすぐ忘れてしまいます)
、、
共生に関してのとこはよかったですね。
日本は地獄です(これは私のことばです)
というか現代社会?
よくわかんない。
1960年ころから競争原理を国家や会社がすごくとりいれたことで
日本がすごく変わってしまった。
いじめは昔もあったけど今は競争原理にもとづくものだから
すごく質がちがっているとか、
勝間和代っているじゃないですか。
ものすごく苦手なんですよね。
とくによく知らないんだけど香山リカさんに対抗して本をだしたでしょ
あれを聞いたとき本当にぞっとしたんですよね。
そうほうともよく知らない
でも「ほっとけばいいのに」と思ったんですよ。
相互依存っていったって所詮エリートの中のおはなしでしょ?
この競争原理でできあがった地獄の日本の権化みたいに感じるんですよ。
ぞっとしてしまうんです・・・

著者がいってるのは人間てけっして平等じゃないから、
強いものと弱いものの住み分けをしようって。
社会では強いものには大きな義務をかせるようにって。
つまり税金をものすごく、(弱いもの暮らしぶりがおなじになるくらいにか)
とって、それを全部福祉のまわせばいいんじゃないのってことなの?
それじゃ強い人がんばらないかと思うんだけど、
他の種ではこれがあたりまえに行われていることがあるそうです。

道徳と宗教はまったく違うっていうくだりもおもしろかったですね。
道徳というのは強者のためのものだと
国家や学校は道徳のもとに人を殺していると。
思い出したことがある。
昔旅をしていたころ、(そのころぼくも滞在していたんですが)
プノンペンの悪名高いゲストハウスに多分NH〇だと思うんだけどテレビ局が取材にはいったの
しばらくしてその宿の情報のノートが無くなった(何モノかに処分された、)
すごく違和感を感じたのです。
そしてある旅人がこういったのにとても共感したのです。
「そっとしておいてあげればいいのに。
この本を読んでそのことをおもいだしたのです。違和感の意味がわかったのです。
ようするにテレビの取材も一見正義感のあるノートの窃盗も
強者の道徳にもとずくものだから。。。
それにくらべて「そっとしておいてあげればいいのに」
っていうのは宗教感のようなものからでたものなんですよね。
いいか悪いかっていうのはいろんなみかたがあるのに。
社会的なフリークスのことを勝間和代みたいな人は絶対にわからない。
わかるはずがない。わかるはずのないものを認めるのは
宗教観がいるんだと思うんですよ。

シェアハウスっていうのをテレビでやってたんですよ。
それをタイトルだけ聞いてあ、弱者の救済なんだ
あーなんだかんだいっても日本でもそんなものも始まってるんだと思ったんだけど
みたらぞっとしたんですよ。
大学のサークル(知らないけど)みたいなのりなんですよ。
みんなおんなじ顔をしてるんです。
居住者による面接があるんだって。
なかには地方出身独身女性限定なんていうしばりのあるものまである。
これは社会的フリークスのためのものじゃない。
むしろそんな人たちをさらに追い込むためのものじゃないか、、、
すごくぞっとしました。

まだいろいろあったはずなんですが疲れたのでやめます。
とにかく本を読んで少しでも元気になりたい。楽になりたい。
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